インタビュー花咲くいろは

花咲くいろはスペシャルインタビュー第39回

――では次に音楽プロデューサーとなられるまでのお話をお聞きしたいのですが、大学を卒業されてから音楽業界に進まれたんですよね?

斎藤:
実は現実はそう甘いものではなくて……(笑)。もともと音楽業界はとても狭き門で、1、2名の枠に対して何千名もの応募があるんです。僕もレコード会社を何社か受けたのですが、最終的には入ることができませんでした。でも音楽業界が無理だったとしても、エンターテインメントに携わっていたいなと。そこでゲームが好きだったということもあり、ゲーム業界に進むことにしたんです。

――ゲームソフトの開発をされていたのですか?

斎藤:
僕が就職したのはバンプレストという会社なのですが、そこでクレーンゲームの景品を作る部署に配属されました。2年目は販促宣伝部に移動になり、そこでポスターや広告を作りながら、ゲームショーや展示会などで司会をしたり、着ぐるみに入って踊ったりしていたんです。でも音楽に携わりたいとずっと思っていて、それをことあるごとに会社に言っていたら、子会社のミューラスという声優養成所兼プロダクションに出向することになりました。

――そこでアニメ業界との接点ができたわけですね。

斎藤:
そうですね。ミューラスには杉田智和さん、小林由美子さん、高橋美佳子さんたちが研修生でいらしたのですが、そこでマネージャーをするのではなく、「kirakira☆メロディ学園」という声優ユニットのお手伝いをすることになりました。その当時の上司が、現在グッドスマイルカンパニーの代表取締役社長をされている安藝貴範さんだったんです。2年ぐらい一緒に仕事をしていたのですが、安藝さんがグッドスマイルカンパニーを立ち上げることになりまして。実は僕も誘われたのですが、やはり音楽をやりたいという気持ちが強く、フリーの道を選びました。

――会社には戻らず、いきなりフリーになられたのですか!?

斎藤:
今振り返ると無謀でしたね(笑)。フリーになってからはホームページの制作、動画の撮影と編集、イベントの舞台監督、ラジオのディレクターなど本当にいろいろやりました。井上喜久子さんのファンクラブの手伝いもしていて、黄色いクマの着ぐるみを着て踊ることもありましたね。当時はお金がなかったので、よくご飯を食べさせてもらったりして……。こう言っては失礼なのですが、今でも喜久子さんを見ると母親のような感じがします(笑)

――そこからランティスに入られたのですか?

斎藤:
実はまだ続きがありまして、フリー時代に、サイトロン・デジタルコンテンツという会社からお仕事をいただいていたのですが、インターネットのラジオ番組を立ち上げるので手伝ってくれないかと言われまして。当時10番組(月40本)くらいあったのですが、ディレクションや編集など全部やりましたね。しかも月数万円というギャランティで(笑)。その時目をかけてくださったのが、現在MAGESの代表取締役社長をされている志倉千代丸さんという方で、3年間ぐらい一緒にお仕事をさせていただいたんです。そこで音楽制作の基礎を学ばせてもらいました。そうこうしているうちに、サイトロンとランティスが共同で『プリンセスアワー』というアニメを作る機会がありまして。

――やっとランティスの名前が(笑)

斎藤:
長くてすみません(笑)。その当時、月1回の製作委員会で僕がアレコレ提案をしていたら、ある日ランティスの松村さんという方に呼び出されたんです。その時は「製作委員会で好き勝手やるな!」と怒られるんじゃないかと思っていたんですよ(笑)。でも行ってみたら、「うちの会社に来ませんか?」と。まさに青天の霹靂で、いろいろ悩んだ結果、半年後にランティスに入社することになりました。

――ランティスに行こうと決められた理由は何だったのでしょうか?

斎藤:
今でもそうなのですが、アーティストを大切にする会社だったからです。もちろん今までいた会社がそうではなかったということではないのですが、ランティスは1枚目のCD売れなくても2枚目頑張ろう、それでダメなら3枚目でと、長い目でアーティストを育てていきます。そのやり方に魅力を感じたんです。

――なるほど。アニソンとJ-POPの大きな違いはどこだと思われますか?

斎藤:
これはうちの社長の受け売りで、とても共感できると思ったのですが、アニソンは一度失敗しても復活できる。アニメのオープニングを歌ってCDがあまり売れなかったとしても、次のクールのオープニング曲が売れることもある。J-POPは一概に言えるか分からないのですが、一度失敗してしまうと、もうダメだとレッテルを貼られてしまうような気がしています。

――そういう意味ではアニソンの方が、チャンスは多いですよね。

斎藤:
それはあります。J-POPで停滞していたアーティストが、アニメの世界で復活するということも多いですから。それにアニソンファンは過去のいきさつよりも、その瞬間の音楽をちゃんと評価してくれる。その時その時を全力でやっていれば、一度失敗してもまたチャンスは回ってくる、すごく前向きになれる世界だと思います。

――ちなみにアーティストに音楽を依頼するとき、心がけていることはありますか?

斎藤:
ピーエーワークスさんの作品で僕が心がけているのは、企画の早い時期でスタッフの皆さんとアーティストの顔合わせをすることです。今回も、安藤監督と堀川さんに作品に対する熱い想いを語ってくださいと事前にお願いをして、nano.RIPEやクラムボンと一緒に本読みにお邪魔させていただきました。もちろん作品によってやり方はいろいろあり、ドライに仕事を進める現場もあります。でもこれは僕個人の感想ですが、ピーエーワークスさんは気持ちで作品を作っている部分が大きいのかなと。最初から深く関わることでお互いの熱意が伝わりやすくなる。特に『true tears』や『花咲くいろは』といった作品では、家族ぐるみのような関係が大切だと思ったんです。

――いろいろな作品やアーティストを担当されていますが、仕事に対するモチベーションはどうやって維持されているのでしょうか?

斎藤:
自分の仕事で誰か喜んでいるのを見ることですかね…。作品はもちろん、メールのレスが早いとか、頼まれたことは極力断らないとか、些細なことでも仕事を通して、ああよかったと思ってもらえることが一番嬉しいです。だからこの仕事は自分に向いていると思います。

――確かに斎藤さんはいつも笑顔で、「NO」と言わないですよね。

斎藤:
そんなことないですよ。社内ではムッとしていることも多くて、「話しかけていいですか?」と聞かれるぐらい負のオーラを出していることもあります(笑)。もちろん社外に対してはそんなオーラは出しませんけれど。あと昔から、何か頼まれた時「いや、それは……」とか「でも……」などの反意語を最初に言わないようにしています。もし意見を言うときも、よっぽどのことがない限り「なるほどそうですか……」と一拍置くようにしています。
やはりお願いする側の気持ちになって考えると、相手の顔が瞬間的にでも曇ったりすると、不安になるじゃないですか。それはたぶん心のどこかに残って、次の仕事の時に「あの人は怖いな」とか「面倒だな」と一瞬でも思われてしまったら、ほかの人に仕事を振りたくなると思うんです。それは仕事する上で死活問題。そうならないように気をつけています。一番はお互いの気持ちが分かるぐらい、仲良くなることだと思うんです。これは永谷プロデューサー流でもあるのですが、その方が仕事をしていて楽しいですからね。

――音楽プロデューサーとして、大切なものをひとつ挙げるとしたら何でしょうか?

斎藤:
気遣いだと思います。僕が断ったら相手に迷惑がかかるかもしれないし、もしかしたら寂しいと感じてしまうかもしれない。細かいことですが、メールのレスも抜けがないようにしています。最近忙しいので翌日や数日後になることも多いんですけれど、出来るだけ即日返しができるよう心がけています。何事も忘れないことが生命線かな。気遣いというより、不安症・心配性なのかもしれませんね(笑)。